レジストリの権力が賠償責任から切り離されるとき――現行のRIR調整モデルはなぜ今の形では存続できないのか
レジストリの権力が膨らむ一方で、賠償責任が100ドルのままなら、何が破綻するのか?

誰が記録を維持し、誰が紛争を解決し、誰が経済的権利を持つのか。Lu Hengは、各責任を可視化し、責任を問えるようにするため、これらの機能を分離することを提案する。
RIR制度の最も深い問題は、ありふれたガバナンスの失敗ではない。ある理事会が無謀だった、ある経営幹部が腐敗していた、ある地域がひときわ不運だった、という話ではない。より深い問題は、以前の世界に合わせて作られた制度の外殻が、今は別の世界を統治していることだ。IPv4の希少性、枯渇、そして移転可能性が、管理対象の性質を変えた。かつて事務的な調整に見えたものは、今や希少な経済資源を制度上承認する層の一部に位置している。アドレスが希少になり、ネットワーク事業者が待機リスト、移転の枠組み、二次市場での取引に頼らざるをえなくなれば、レジストリはもはや記録を保管するだけではない。移転可能性、承認、ルーティングの信頼性、事業継続に重大な影響を及ぼす門番の役割を担う。法的な外殻は事務管理のままなのに、経済的な実質は戦略的なものになった。ここが断層である。
この断層は、契約に直接表れている。RIPE NCCの標準サービス契約は、広範な種類の賠償責任を除外し、RIPE NCCの賠償責任を、該当会計年度に会員が支払うサービス料金までに制限している。ARINの登録サービス契約は、賠償責任の総額の上限を、直前6か月分の料金と100米ドルのいずれか高い方とし、長期の料金未払いがあった場合、契約の終了と対象番号資源の取り消しを認めている。AFRINICのRSAも同様に、賠償責任を直前6か月分の料金と100米ドルのいずれか高い方までに制限している。これらは、重大な影響を及ぼすガバナンス上の損害について、財務面でも責任を引き受ける組織の契約条件ではない。決定的な支配を維持しながら、意味のある損失負担を契約で最小限に抑える組織の条件だ。
貸借対照表も、別の側面から同じ不釣り合いを示す。RIPE NCCの2026年予算では、支出予算は約4,110万ユーロとなっている。ARINの2025年財務報告では、目標運営準備金は約2,470万米ドル、予算上の運営支出は約3,290万米ドルである。AFRINICの2021年年次報告では、会費収入は約598万米ドル、支出は約412万米ドルだった。これらは、事務管理の予算としては相応の規模だ。だが、希少で高価値の番号資源をめぐるガバナンス上の損害について、その予見可能な規模に見合う賠償責任を吸収するために設計された組織の資本基盤ではない。端的にいえば、資産価値を大きく左右する結果が、会員団体規模の財務基盤によって管理されている。
だからこそ、この矛盾は経営上のものではなく、構造的なものなのだ。通常の商取引では、賠償責任の制限条項にも整合性がありうる。少なくとも、おおむねリスクを配分できるからだ。当事者は交渉できる。供給者を替えられる。保険に入れる。分散できる。取引を断ることもできる。ここでは、その論理が著しく弱まる。レジストリの役割は、重要な調整層を握る独占に近い門番の方に、はるかに近い。会員は、制度の構造について実質的に交渉できない。レジストリは、資源の承認が続くかどうか、移転可能性、あるいは資源の地位に影響を与えうるのに、救済は象徴的なものにとどまる。真に資本主義と法の支配に立脚する秩序において、これは安定した均衡ではない。サービス供給者並みの責任にとどまりながら、主権者並みの実際上の影響力を維持しようとする試みだ。この仕組みは、しばらく覆い隠すことはできる。だが、管理対象の資源に大きな価値が生まれれば、安定させることはできない。
だからこそ、いつもの人物論は浅すぎる。問題は、あるCEOが別のCEOより倫理的か、ある理事会が別の理事会より有能かではない。大きな裁量、弱い救済、乏しい資本、そして会員の強い依存を組み合わせた構造が、病的な誘因を体系的に生み出すことにある。それは悪質な者を誘惑し、普通の者を劣化させ、長期的な正統性より短期的な収奪に報いる。このことがわかれば、驚くべきなのは乱用が起きることではない。これほど多くの内部関係者が、乱用を設計の産物ではなく異常事態として語り続けていることだ。RIRの世界の多くの人が、今も受け入れようとしないのはこの点である。現行の調整機能は、今の形では存続できない。現在の形は、重大な結果をもたらす権限と、結果責任をほとんど負わない仕組みを結びつけているからだ。この結びつきこそが問題なのである。
AFRINICが重要なのは、対立から圧力を受けたときに現行モデルがどう振る舞うかを、最も明瞭に示す事例だからだ。AFRINIC自身が2026年3月12日、周辺の訴訟によって、組織はすでに数百万ドルの法務費用を負担したと述べている。AFRINICが好む説明の枠組みをどう評価するにせよ、この認めた事実だけで十分だ。この組織は、均衡を取り戻した状態で検証されているのではない。不安定で、法的紛争によって財務が圧迫され、運営の正常化に苦しんでいることを公然と示している状態で検証されている。その状態では、権力と賠償責任の非対称性は、とりわけ危険になる。もはや、隠れた設計上の欠陥にとどまらないからだ。弱体化した組織の中で、実際に使える圧力の手段になる。
ここで分析をさらに鋭くしなければならない。この非対称性は、不安定さを生むだけではない。標的を選ぶ捕食的な論理を生む。内部関係者が、大きな裁量を持つ一方で、実際の損失をほとんど負わないと気づけば、その行動は無作為にはならない。価値の低い標的には、手間をかけるだけの意味がない。極めて大きな標的は、手を出すには危険すぎるかもしれない。したがって構造は、狙う価値があるほど大きいが、圧力をかけるには明らかに大きすぎるとはいえない主体へと、標的を絞っていく傾向を持つ。この論理は、短期的には合理的に見えるかもしれない。実際には、それはこの構造の最も自己破壊的な特徴の一つである。時間がたつにつれ、この選別過程は被害者を生むだけではなくなる。組織自身の崩壊を加速する存在を生み出す傾向があるからだ。誰が標的になるかは偶然に左右される。そのような標的が現れること自体は、偶然ではない。集中した裁量と極小の責任が十分に長く共存すれば、捕食的な行動は偶発的な誤りではない。誘因の構造から数学的に予測できる産物になる。
この区別は重要だ。レジストリと、力があり、粘り強く、豊富な資源を持つ会員との対立は、後になって、その会員が危機を引き起こしたかのように語られるかもしれない。分析上、それは誤りである。根本原因は、依然として構造にある。その対立は、構造が、自ら生み出すと予測できたものの一つに直面した出来事なのだ。組織の内部からは、戦術的に圧力をかける好機に見えるものが、外部からは、組織が自らの未来を短くする瞬間に見えることがある。ある制度が何年も静かに劣化した後、突然、危機を加速させるのは、このためだ。欠陥は、ずっと存在していた。変わったのは、その欠陥が、潜在的な矛盾を組織された対抗力へと変えられる標的を、ついに選んだことだ。これは偶然の制度上の事故ではない。こうした構造が、時間とともに生み出しやすくなるものなのである。
対立が始まると、病理はたいてい悪化する。権力を、責任、救済、自制と釣り合わせ直す代わりに、組織とその支持者は、結果責任からさらに隔離されることを求めがちだ。それは、手続き上の保護の拡大、免責の主張の拡大、あるいは政治的な後ろ盾の拡大という形を取ることがある。だが、いずれも同じ誤りの変形にすぎない。権力を維持、あるいは拡大しながら、責任をさらに遠ざけることだ。それでは病は治らない。深くなる。問うべきなのは、レジストリを自らの設計の結果からどう守るかでは決してない。相応の賠償責任、資本、外部からの規律なしに、どのレジストリであれ、なぜこれほど重大な結果をもたらす権限を持ち続けるべきなのか、ということだ。
ICANNとSmart Africaをめぐる一連の動きが重要なのは、この病理が、さらに上位の層で再現されていることを示すからだ。ICANN自身の2025年11月の声明によれば、Smart Africaとの覚書(MoU)およびプロジェクト契約に基づき、ICANNはIG Blueprintの取り組みに4万米ドルを拠出し、ICANN会合でのSmart Africaの地域対話に事務的支援を提供した。ICANNのCEO、Kurtis Lindqvistによる2025年11月24日の書簡も、4万米ドルのプロジェクト資金を認め、より広いBlueprintにCAIGAが含まれていたと述べている。同時に、ICANNはCAIGAに事前のお墨付きを与えておらず、「政府による判断の上書きの仕組み」には参加しないと強調している。このパターンは明白だ。まず実現を後押しし、後から形式上の距離を置く。資金、会場、手続きに息を吹き込む支援を通じて権力を行使し、法的・制度的な距離を通じて責任を否認するのである。
公開された催事の記録も、この読み方を裏づける。プラハでのICANN83の議題には、ICANNによる導入、ICANNのCEOとSmart AfricaのCEOが関わる開会挨拶、CAIGA設立の合意に関する項目、そして正式発足に向けたCAIGA文書の最終確定に関する項目が含まれていた。その後Smart Africaは、連合が支持した候補者8人のうち7人がAFRINICの理事に当選したこと、国家元首および政府首脳からの委任に基づいて行動したこと、そして加盟国がすでに支持した方針に沿ってCAIGAを引き続き推進することを述べた。どのような婉曲表現を好もうと、これは権限と賠償責任の釣り合いを改善する動きではない。責任に比して権力がすでに過大である層に、さらに政治を加える動きである。
より直接的な国家権力を持ち込んでレジストリの不安定さを「解決」したくなる政府は、自分たちが犯しているカテゴリーの取り違えを理解すべきだ。国家は、領土、徴税能力、警察権、そして究極的には強制力を持つため、収奪があってもより長く存続できる。レジストリには、そうした緩衝材が一つもない。その真の資本は、共有された承認、手続きの信頼性、そして運用の継続性である。つまり、レジストリを政治的な道具、収奪の機械、あるいは責任をほとんど問われない影響力の領域として使おうとする試みは、どれもレジストリを強化しない。その存在が依存する唯一の信頼の土台を、焼き尽くすのだ。レジストリの脆弱さへの答えが、資本の乏しさと弱い賠償責任をそのままに、組織をさらに政治化することなら、その答えは同じ病の次の段階にすぎない。
今のような「修復」がこれほど浅はかなのは、このためだ。免責を増やしても治療にはならない。権力と結果責任の隔たりを広げる。政府の支配を強めても治療にはならない。賠償責任の構造を未解決のままにしながら、レジストリの危機を主権をめぐる争いに変える。外部から後押しする者が、形式上の責任否認を強めても治療にはならない。同じ非対称性を、一段上の層で再現するだけだ。どの動きも方程式の釣り合いを取り戻さない。すべて、解ける状態からさらに遠ざける。適切な比喩は制度改革ではない。すでに失速寸前の航空機で、操縦士が、一時的に上昇した感覚を、さらに機首を引き上げ続けるべき証拠だと取り違えている状況だ。さらに引くたびに、制御しているように感じる。実際には、機体を、回復不能な揚力の喪失へと近づけている。
結論が厳しいのは、構造が厳しいからだ。番号資源が経済的に本格的な意味を持つようになれば、現行のRIR調整モデルは、今の形では存続できない。レジストリへの権限の集中、象徴的な賠償責任、乏しい資本、弱い救済の上に築かれた制度が存続できるのは、誰も本気でその制度を試さず、内部関係者が、その非対称性を過度に利用しないだけの自制を保っている間だけだ。AFRINICは、その自制が失われ、根底の設計が圧力を受けたときに何が起きるかを示している。したがって答えは、発信の改善でも、責任からのさらなる隔離でも、政治力の増強でもありえない。これらはすべて、責任をさらに遠ざけながら権力を温存しようとする試みだ。方程式を解きやすくするのではなく、解きにくくする。
整合的な最終形は、二つしかない。一つは分散化である。一か所に集中する裁量を減らし、信頼をより分散させ、脆弱な単一の制度的門番への依存を減らす。もう一つは、抜本的な再構築だ。現在の外殻を、技術的な登録機能、紛争解決、そして経済的権利または移転の権利について、それぞれ個別に責任を問える層へ分割する。それ以外はすべて、旧来の構造を殺しつつある病理を、さらに大量に投与して延命しようとする試みにすぎない。