論考58:二重の搾取から主権の逆転へ――国家はいかにして100米ドルの責任上限でRIRに主権的な支配権を奪われるのか

一国の番号管理の層が、どうして100ドルで外国の民間組織の支配下に置かれるのか?

居住地区の隣のゲートを、高い位置にある管理用デスクが制御している概念模型。青いケーブルが、その下を通って先へ伸びている。

決定が下される場所と、その結果を引き受ける場所は異なる。Lu Hengは、共通記録を支配する権限が、なぜ費用を負う人々からこれほど遠く離れていてよいのかと問う。

前の論考での主張は、レジストリ層が単に目に見える手数料や事務上の不便を課すというものではなかった。もっと精密な主張だった。第一の搾取は、希少で、移転でき、収益を可能にする資源が、資産ではないという言説、条件つきの承認、移転と利用をめぐる摩擦によって、制度上割り引かれたままにされるときに起こる。資源は公然と没収されるのではない。その価値を十分に資本として評価することを妨げられる。第二の搾取は、資源がすでに本来の経済的価値より低く抑えられている同じ事業者が、なおレジストリのリスクに全面的にさらされ続けるときに起こる。承認、移転可能性、管理上の地位が、依然として上流にある同じ要所に握られているからだ。利益の上昇余地は上から制約され、損失リスクは下から負わされたままになる。私が二重の搾取と呼んだのは、このことである。

事業者のレベルで二重の搾取として現れるものは、国家のレベルでは、より大きく深刻なものになる。主権の逆転である。国家は、混乱による公的な損失の全体を負い続ける。経済的損害、通信の脆弱化、政治的な結果、国家としての依存だ。一方、承認層の決定的な部分は、外国法の下で活動する外国の民間法人の内部にある。逆転とは、このことだ。支配は国家の上にあり、その結果は国家の下に残る。

だから、よくある非難は、向きが逆なのである。仮に私が「アフリカの主権を奪っている」本人だというのなら、もっと単純な問いを立てるべきだ。その主権は、そもそもどうして構造的なリスクにさらされるようになったのか。答えは隠されていない。AFRINICはモーリシャスを拠点とする。ARINはバージニア州の法人だ。RIPE NCCはアムステルダムにあり、オランダ法の下にある。APNICはオーストラリア法とクイーンズランド州法の下で活動する。LACNICはモンテビデオにあり、ウルグアイ法の下にある。一地域だけの異例でも、一組織だけの偶発的な問題でもない。主権国家の番号資源層が、外国の民間法人を介して成り立つ、五地域全体の構造なのだ。

こうして明確に述べれば、主権の問題を否定することは難しくなる。RIR制度全体で、これらの組織は、承認、地位、継続性、取り消し、管理上の資格に関する重大な権限を保持する一方、自らの法的責任を厳しく制限し、あるいはあらかじめ枠づけている。その責任の上限が、わずか100米ドルという場合もある。この非対称性が問題の核心だ。外国の民間組織が、国家的に重要な番号資源をめぐる関係の上に位置し、国家のインターネットの継続性の相当部分を危険にさらす能力を含め、システム全体に影響しうる力を行使できる。それなのに、混乱、停止、承認の撤回、管理上の不安定さから生じうる損害の規模に比べ、負う損失は象徴的なものにすぎない。こうした仕組みをほかに何と呼ぼうとも、主権をめぐる均衡の真剣なモデルとは呼べない。

そして、多くの政府が、今なお十分明確に言語化できていないのが、この点だ。商人も、投資家も、訴訟当事者も、事業者も、自分が一度も持っていなかった主権的権力を盗むことはできない。私は主権者ではない。一国の法律を制定しない。その裁判所を指揮しない。その通信基盤に対する公的な権限を主張しない。だが、肥大化した統治を行うRIR層は、実際にまさしくその戦略的な位置を占めてきた。外国の民間の承認層が、事業者の資産と国家的に重要なインフラの上に位置し、継続性が脅かされたときの現実の被害は、その下の国家が負う。これは単なる調整ではない。主権の機能が上へ移され、間違った制度の層に置かれているのだ。

この構造を擁護する標準的な議論は、歴史に訴える。レジストリは一意性を調整するために設立され、一意性には管理責任が必要だ、と言われる。前半は正しい。後半で議論が破綻する。世界的な一意性には確かに調整が必要だが、必要なのは限定的で技術的な調整だけだ。経済的に重要な資源に対する裁量権を持ち、肥大化し、変化し続ける統治層は必要ない。最終的に国家のインフラに影響する関係を、外国の民間組織が裁く必要もない。問題を一意性そのものに絞れば、肥大化した統治を支持する根拠は崩れる。それなのに、制度の現実は反対方向へ進んできた。契約は改定されうるし、条件も変わりうる。そのうえ、統治される側は、自分では本当に支配できない、動き続ける枠組みに拘束されがちだ。これは最小限の調整層ではない。もともと正当化に使われた限定的な技術機能を、はるかに超えて膨らんだ統治層である。

周囲の言説の多くが核心を避けているのも、このためだ。私が以前の論考で述べたように、インターネットガバナンスの周囲には、代表を名乗る階層が丸ごと育ってきた。ネットワークを築かず、インフラに資金を投じず、運用上の損失を負わず、システムが失敗しても実質的な法的責任を負わないのに、地域、コミュニティ、「エンドユーザー」の名で絶えず発言する階層だ。この階層にとって、実業家を非難し、「部外者」を道徳的に断罪し、保護を語りながら憤激を演じるのは、政治的に容易である。はるかに難しいのは、本当の構造的事実を認めることだ。何十年もの間、主権国家は、自国のデジタルな生命線の一部が、法人としての存在を他国に置き、損失責任を契約で制限する外国の民間組織によって条件づけられることを、容認してきた。その事実を明確に述べれば、議論は変わる。もはやアイデンティティ、象徴、会議の壇上での道徳劇の話ではなくなる。もっと困難で真剣な問いになる。強制的な結果をもたらす力は実際にどこにあり、実務では誰がその結果を負い、そもそもどんな論理で、その権力がそこに落ち着くことを許されたのか。

したがって、真剣な政府は、極めて単純な問いを立てるべきだ。相互運用のために実際に必要な、世界で共有する最小限の層は何か。そして、その上に何が不当に付け加えられたのか。答えは難しくない。共有層は、可能な限り薄い共通記録へと縮小すべきだ。監査可能で、中立的で、裁量を最小限にした記録である。その層の上にある、強制的な結果を伴うすべてのもの――取り消し、制裁、争いのある移転、支払不能の影響、政治的に争われる判断、公の秩序に関する決定――は、主権が本来あるべき場所に置かなければならない。あなたの国の法律の下に、あなたの国の裁判所の前に、あなたの国の政府を通じて、そして最終的にはあなたの国の人々の権限の下に、である。結果が重大であるほど、それを外国の民間の手に残すことの正当性は薄れる。

これを、国家から権力を遠ざけようとするBitcoinや、ほかの暗号資産の物語と混同してはならない。ここでの論理は逆だ。政府から権限を奪う話ではない。それに見合う公的な説明責任を負わずに権限を蓄積した、民間の地域統治層から、政府へ権限を戻す話である。主権への攻撃ではない。主権の回復を求める要求だ。

したがって、二重の搾取からの展開は明快だ。事業者のレベルでは、レジストリ層は利益を抑えながら、損失リスクを残す。国家のレベルでは、国家が負う損失リスクを残しながら、戦略的な支配を外国の民間法人へと上方移転する。それが主権の逆転だ。そしてそのように捉えれば、本当の不祥事は、ある商人がアフリカの主権を「奪った」かどうかではなくなる。本当の不祥事は、政府がこれほど長い間、この仕組みを正常なものとして扱うよう説得されていたことだ。

モーリシャス、バージニア、アムステルダム、サウスブリスベン、モンテビデオにある外国の民間レジストリが、象徴的な法的責任しか負わずに、あなたの国の番号資源層の継続性を実質的に左右できるのなら、主権の問題は私から始まったのではない。間違った組織が間違った層を占めることを許された瞬間に始まったのだ。真剣な国家は今、その誤りを正すべきである。外国の民間組織が、あなたの国のデジタルな未来を代表する地位を主張することを、もう許してはならない。外国法の下で設立され、外国の政治環境にさらされる組織が、あなたの国のデジタル経済の継続性の上に位置することを、もう許してはならない。肥大化した統治を行うRIRモデルを解体せよ。一意性に奉仕しながら主権的権力を簒奪しない、新たな最小限の調整層に置き換えよ。

NRSのような組織は、そのGSGグループを通じ、まさにこれらの問いを利害関係者や政府と議論するために存在している。この問題は今や、正面から向き合うに足るほど成熟している。選択肢は、現行制度を維持するか、混乱の危険を冒すかではなくなった。本当の選択は、主権の逆転を容認し続けるか、そもそも手放すべきではなかった層への支配を取り戻すかである。あなたの国だ。あなたの国のデジタル経済だ。あなたの国の主権に伴う責任だ。番号資源層が、実質的にほかの誰かのものになっていてはならない。