インターネットを中央集権化しようとする最後の試みについて――ICP-2改訂草案、制度を実施する権力、構造的リスク
ICP-2の改定は保護のためなのか、それとも今の仕組みを固定しようとする試みなのか?

アクセスが一つの門に依存すると、その門を管理する者は、利用者全員に対する権力を手にする。Lu Hengは、参入と退出の制限に潜むこのリスクを考察する。
あらゆるシステムは、いずれ現実に適応するか、それとも今の姿のまま自らを固定しようとするか、その選択を迫られる。
その時がいつ来るかを決めるのは、議論ではない。
規模である。
インターネットは、その時を迎えた。
ICP-2改訂草案は、保護、責任ある管理、秩序のためのものとして提示されている。
実際には、統治すると称するシステムの規模にも性質にも、もはや合わなくなった構造を温存しようとする試みだ。
根本的な誤りは単純である。
問題は、世界全体での信頼が弱まったことではない。
そのような信頼は、そもそも存在しなかった。
地球規模で信頼を一か所に集約できるのなら、私たちはすでに世界政府を持っているはずだ。
だが、持っていない。
これからも、持つことはない。
インターネットが成功したのは、信頼があったからではない。
信頼の有無が関係なかったからだ。
インターネットが小さかった頃は、潤沢さが脆弱性を覆い隠していた。
IPアドレスが豊富にあった頃は、ガバナンスはほとんど問題にならなかった。
障害の影響が局所的だった頃は、失敗しても持ちこたえられた。
その時代は終わった。
いまやインターネットは重要インフラである。
IPアドレスは生産資本となった。
障害は世界全体に及ぶ。
脆弱性は、もはや許容できない。
この段階で、システムは選択を迫られる。
隘路を取り除くのか。
それとも、守り抜くのか。
退出を認めるのか。
それとも、禁じようとするのか。
分散化するのか。
それとも、権限を集中させ、それを安全と呼ぶのか。
ICP-2改訂草案は、集中を選んでいる。
参入を阻む。
退出を制限する。
新たな機関の設立を事実上不可能にし、既存の機関を実質的に代替不能にする。
調整を許可制へと変える。
そして、許可を権力へと変える。
さらに悪いことに、コミュニティから真の同意を得ることなく、決定的な権限を民間法人の手に委ね、それをガバナンスと呼んでいる。
これは安定化ではない。
既存の支配を固定することだ。
構造上の欠陥は決定的である。
ICANNとNROには、強制力がない。
軍隊を指揮しているわけではない。
国境を管理しているわけでもない。
従わせることはできない。
その権威は、全面的に自発的な協力によって成り立っている。
まさにそれゆえ、このやり方は致命的なのだ。
自発的な参加の上に築かれたシステムは、退出を制限し、競争を阻み、権限を集中させた瞬間に崩壊する。自らが依拠する唯一の基盤を壊してしまうからだ。
同意こそが、システムそのものなのである。
制度の居心地のよさに長く浸りすぎた人々は、手続きの近くにいることを、実際の力と取り違えるようになる。
自ら進んで集まったコミュニティと、そのコミュニティが代表すると称する世界とを混同する。
これは認識の甘さの問題ではない。
構造的に成り立たないのだ。
従うことが、自発的な足並みの一致から、強制されているという認識へと変わった瞬間、正当性は消え去る。
その衝撃を受け止める執行の仕組みはない。
緩衝装置もない。
代替手段もない。
歴史上の帝国とは違い、このシステムは秩序を強制できない。
できるのは、説得だけだ。
そして、説得が既存の支配の固定へと置き換わるとき、協力していた者たちは抵抗するのではない。
退出する。
ここでの中央集権化が、ひときわ脆いのはそのためだ。
自らを守ろうとすることで、システムは、自らの存立を可能にしていた条件そのものを破壊する。
歴史は、このパターンを何度となく繰り返してきた。
脅かされると、古いシステムは閉じる。
退出を阻む。
特権を守る。
支配を安定と取り違える。
王たちは、そうしてきた。
権威主義体制も、そうしてきた。
計画経済も、そうしてきた。
いずれも、秩序を守っていると信じていた。
いずれも、崩壊を加速させた。
システムが失敗するのは、挑戦者に攻撃されるからではない。
自らを守ろうとして適応を抑え、隘路を守り、退出を禁じるからだ。
ICP-2改訂草案は、まさにこの道をたどっている。
構造的な移行を、善良な機関と悪い行為者、秩序と混沌が対立する勧善懲悪の物語として描いている。
この捉え方は、単に間違っているだけではない。
致命的なのだ。
複雑なシステムは、誰かが邪悪だから崩壊するのではない。
前提が規模の拡大に耐えられなくなり、利害が乖離し、隘路が取り除かれるどころか守られるから崩壊する。
振り返ってみれば、古いモデルの崩壊が早まることは、悲劇ではないのかもしれない。
必要なことなのかもしれない。
進化を拒みながら、強制力も持たないシステムは、安定を実現できない。
できるのは、同意を失っていくことだけだ。
そして同意が失われたとき、システムは暴力的に倒されるのではない。
人々は静かに、それを迂回するようになる。
国家は互いを信頼していない。
これまでも、そうだった。
だが、国家はインターネットを失うわけにはいかない。
この矛盾が残す帰結は、一つしかない。
重要なインターネット資源は、一か所に集約された許可に依存してはならない。信頼が失われたからではなく、信頼を一か所に集約することなど、もともと実現できなかったからだ。
調整が機能しなくなれば、システムは壊れるか、分散化するかのどちらかである。
インターネットはすでに一度、ネットワーク層で分散化を選んだ。
いま歴史は、資源層でも同じ選択を求めている。
ICP-2改訂草案は、その未来を阻んでいるのではない。
その未来が来ることを裏づけている。
この対立は過ぎ去る。
そこに登場した名前も、忘れられていくだろう。
だが、進む方向は定まっている。
同意の上に築かれたシステムが、閉じることで生き残ろうとするとき、
それに取って代わるものによって、自らが全面的に置き換えられることを確実にする。