インターネット番号資源は政治的な所有物ではない
サービスの対象地域は、なぜ主権を持つ共同体ではないのか?

サービスの境界を引いても、その内側のネットワークが自分の財産になるわけではない。Lu Hengは、アドレスを調整する仕事と、インターネット資源の政治的所有を主張することを区別する。
先日の論考、レジストリの権力が賠償責任から切り離されるとき、それは現実からも切り離されるで、私は、現代のレジストリ問題は構造的な非対称性から始まると論じた。移転可能性、承認、継続性、ひいては現実の経済的価値に大きな影響を与えうる組織が、はるか以前の、はるかに小さな世界に合わせて設計された賠償責任の仕組みの下で、今も活動している。IPv4は今や希少で、移転可能で、価格がつき、訴訟の対象となり、資金調達に利用でき、運用に不可欠である。それなのに、レジストリ層の法的形態は、価値の低い事務記録を管理しているだけであるかのように振る舞い続けている。これが最初の亀裂だ。権力は拡大した。責任を問う仕組みは拡大していない。
だが、この賠償責任の亀裂は、単独で存在するわけではない。その下には、今や無視できなくなりつつある、もっと古い設計上の誤りがある。インターネットは、五つの政治的空間として生まれたのではない。一つのネットワークとして生まれた。地域インターネットレジストリへ移行したのは、文化、主権、文明の境界について、何か深い真理を発見したからではない。規模の拡大への対応だった。地域モデルが生まれたのは、当初の中央集約型の仕組みでは、世界規模の成長に対応しきれなくなったからだ。運用上の便宜として始まったものが、後に、恒久的な政治構造であるかのように扱われた。それが誤りだった。規模への事務的な対応が、徐々に、正当な権限を説明する理論へと変えられたのである。
これは重要だ。規模拡大のための仕組みが政治的な基盤として読み替えられると、レジストリ層は、本来与えられていなかった意味を主張し始めるからだ。サービス地域は、主権を持つ共同体ではない。一体の政治的人民でもない。共通の倫理的立場を持つ代表対象でもない。事務管理上の地図である。大きく異なる国家、法制度、文化、さらには現に地政学的に敵対している国々さえ、同じRIR地域の中に存在しうる。この事実だけで、こうした地域が自然な政治単位であるという幻想は捨てるべきだ。自然な政治単位ではない。過去から引き継がれたサービス提供の地理的区分にすぎない。レジストリの色分けされた地図は、正当な統治の理論ではない。
ここから、今日の論評がしばしば大きく取り違える点も明らかになる。AFRINICで起きていることは、「アフリカ」が本質的に機能不全だという証拠ではない。また、AFRINICが何らかの形で、主権的な存在としてアフリカを体現しているという証拠でもない。どちらも誤りだ。AFRINICは、RIR制度の中にあるレジストリ組織である。アフリカそのものではなく、そのサービス地域にあるすべての利益の法的所有者として発言するものでもない。AFRINICを通じて資源を申請することも、「アフリカの財産を奪う」ことにはならない。AFRINICは、世界的な制度の中にある分配と登録の経路だ。管理する資産を原初的な主権に基づいて生み出す存在ではない。したがって、AFRINICの危機は、アフリカ文明の問題ではなく、アフリカの政治的所有権が侵害された証拠でもない。レジストリの構造の問題である。門番の権限が過度に集中し、責任を問う仕組みが乏しく、代表性をめぐる神話が過剰で、資源を実際に運用し、損失を負うネットワーク事業者への敬意が足りないのだ。
これを理解すれば、資産の問題は、それをめぐる言説よりはるかに単純になる。ネットワーク事業者は、番号資源を軸に事業を築く。そのために資本、技術者、ルーター、契約、サポート体制、顧客関係、資金調達の仕組み、そして規律ある運用を投入する。継続性が損なわれれば、損失を負うのはネットワーク事業者だ。移転可能性が妨げられれば、商業上の損害を負うのもネットワーク事業者だ。承認が不安定になれば、運用上の影響を受けるのもネットワーク事業者だ。レジストリは、そのどれも担っていない。レジストリは記録し、調整し、サービスを提供する。ネットワークを運用するのではない。ネットワークに資金を出すのでもない。ネットワークの損失を引き受けるのでもない。したがって、経済的に整合する唯一の推定は単純だ。その資源を適法に保有し、本番のネットワークで運用し、資金を負担し、リスクを引き受けるネットワーク事業者こそ、実質的な資産保有者である。調整はサービスの層であり、より上位の所有権を主張する根拠ではない。記録管理は主権ではない。管理は所有の権原ではない。
だからこそ、「スチュワードシップ」という言葉は、意味を曖昧にしたまま使うと危険になる。限定された調整機能には、正当性がありうる。帳簿管理と登録の機能は、有用でありうる。だが、調整をスチュワードシップへ膨らませ、さらにスチュワードシップを政治的な権利へと膨らませれば、レジストリ機能は、本来想定されていなかったものへ変質する。レジストリは国家ではない。大陸は、主権を持つ法的主体ではない。RIRには、「地域」「人民」「公共の命運」をめぐる言説によって、運用事業者の保有する資産を政治的な所有物に変える権限はない。そのすり替えが受け入れられた瞬間、番号資源の層は、インターネットのアーキテクチャを下から攻撃し始める。運用の継続性を、政治に左右されるリスクへと置き換えるのだ。
そのリスクは、もはや仮定の話ではない。分断された調整層は、すでに、地域をまたぐ連携、別々のポリシー、そして足並みをそろえた事務手続きを必要としている。官僚的な追加負担としてなら、許容できるかもしれない。だが、世界中で使われる資産に対し、より上位の政治的権利を主張する根拠としては、許容できない。調整層が分断されていることと、その分断された調整層が、ネットワークで使われる資産に対し、より上位の道徳的・政治的な権原を主張することは、まったく別の問題だ。前者は管理である。後者は越権だ。
契約条件と並べて考えると、責任の問題はいっそう鮮明になる。この点についての私の以前の議論は、今も決定的な意味を持つ。損失負担を極めて小さく抑えたレジストリ組織が、現実の経済に非常に大きな影響を及ぼす資源の上に位置している。技術的な管理として説明されていたときでさえ、それは不安定だった。同じ組織、あるいはその周囲の内部関係者が、基礎となる資産に対して、もっと広い地域的な権利、あるいは公共のために託された権利があるかのように示唆し始めれば、理論上、擁護できなくなる。それは、もはや責任から切り離された権力というだけではない。責任から切り離されながら、文明全体からの委任に基づくと装う権力である。
だからこそ、今の内部関係者の言説には、その根から抵抗すべきだ。RIRは、会員のために資源を調整できる。それは限定された、理解可能な機能である。サービス地域内のすべての国家、すべての人民、すべての政治的利益、あるいはすべての道徳的主張を代表することとは違う。この区別は根本的なものだ。会員を代表することが、言葉の上で地域そのものを代表することへ膨らませられた瞬間、制度は虚構へ流れ始める。利害、法制度、地政学的な対立が大きく異なる国家を、過去から引き継いだ同じサービス地図の中に載っているというだけで、単一のレジストリ層がどう政治的に「代表」できるのか。真剣に考える人に説明できるはずがない。
派閥による支配と分散化をめぐる、私の以前のAFRINIC選挙についての議論が、今も重要なのも、このためだ。問題は明快だった。意思決定権が小さな集団に集中しすぎている。その権力の行使に関する透明性が乏しすぎる。内部関係者には、手続き、規程、組織への精通を利用して、会員全体に不利な形で結果を支配する余地が大きすぎる。答えは、さらなる言葉の飾りではなかった。分散化された会員主導のガバナンスと、アドレス保有者の権利をより強く認めることだった。それは選挙向けの文句ではない。構造についての議論である。希少で経済的に重要な調整権限が、手続きに通じた少数層に集中すれば、複雑さは武器になり、手続きは選別の装置になり、「コミュニティ」は、主として、すでに発言の場に最も近い者たちが使う言葉になる。
だが、分散化とは、レジストリの過大な権利主張を、国家の過大な権利主張に置き換えることではない。インターネット番号資源は、国家の戦利品ではない。大陸に当然与えられる権利でもない。政治劇の材料でもない。インターネットが、人類初の世界規模の分散型通信ネットワークになったのは、まさに、単一の国家や同盟が、全体を一方的に規定できなかったからだ。番号資源の層に国家的な所有の論理を再び持ち込むことは、その成果を損なう。ある政府、政府の連合、あるいはレジストリ周辺の政治的な層が、ある地域のネットワーク事業者が運用するアドレスは、本当は上から政治的に管理されるべき「人民の財産」だと主張するなら、それは解放ではない。より流行の言葉をまとった収奪の論理だ。
単一の世界的独占も、答えではない。五つの地域独占が、過大な権利主張、神話、政治化へ傾きうるなら、一つの地球規模の独占は、同じ失敗の仕組みを最大規模に広げるだけだ。問題は、単に地図が間違っていることではない。より深い問題は、世界全体に関わり、経済的な意味を持つ資源に対する裁量権の集中である。その力を地域ごとの区画に分けても、問題は解決しなかった。さらに集中させれば、なおさら解決しない。
真剣に目指すべき到達点は、相互運用性を備えた分散化だけだ。世界的に互換性のある標準、別の仕組みに移っても維持される承認、監査可能な記録、透明なルール、そして十分に強い継続性の保証である。その保証は、単一のレジストリ組織、地域、国家ブロック、あるいは内部関係者の集団が、解釈の変更や組織の掌握によって、広範な経済活動を危険にさらせないほど強くなければならない。設計の目標は、地理をめぐる神話ではなく、検証可能性、移行可能性、そして継続性であるべきだ。真に問うべきなのは、どの政治的な物語が感情的に最も満足できるかではない。ネットワークが実際に依存する資源への恣意的な権力を最小限に抑えながら、どの構造がインターネットを安定させるのか、ということだ。
実際に判断する基準は単純だ。番号資源を使った事業を築き、費用を払い、運用し、損失を負ったネットワーク事業者が、本当はその資源を保有しておらず、地域の管理層が保有しているという理説なら、その理説は誤りである。大きく異なる国家を含み、現に紛争さえあるサービス地域の中のすべての人民について、レジストリとその周囲の手続き担当者が代弁できるという理説なら、その理説は誤りである。RIRのサービス経路を通じて申請することが、大陸の財産を奪うことと同じだという理説なら、その理説は誤りである。そして、一つのレジストリ組織の失敗を、ある文明の欠陥か、ある地域の傷つけられた主権に帰すべきだという理説なら、その理説は誤りである。
インターネットの初期から長い間、地域レジストリモデルは、規模拡大のための有用な妥協として許容できた。今は、それだけでは足りない。番号資源が希少で、移転可能で、財務的に重要となり、実際に事業を営む企業の中に組み込まれた以上、基準は変わった。レジストリ層は今、責任を問えること、移行可能性、継続性という規律の下で、自らの存在を正当化しなければならない。地理を正統性の代わりにはできない。手続きを所有権の代わりにはできない。そして、言葉を膨らませることによって、運用事業者が保有する資産を政治的な所有物へ変えてはならない。
インターネット番号資源は、政治的な所有物ではない。機能するネットワークに組み込まれた、運用事業者の保有資産である。レジストリはそれを記録し、それに関する調整を行い、制度を理解可能な状態に保つ手助けをしてよい。だが、それによって、その資源の主権者にも、道徳的な上位者にも、真の所有者にもなるわけではない。インターネットがその虚構を受け入れた瞬間、そもそもネットワークを強靱にしてきた論理を、自ら解体し始めることになる。